2008年04月03日

あなたがたはわたしを何者だと言うのか。

友達が腰を痛めて動けないとの話しを聞いた。
「大変だね。お大事に・・」と話しを終えたが、
私には友達の痛さが分からないのが気になった。
相手の痛さを感じられないのは当然のことかも知れないが、
相手の気持ちを理解していない自分と出会った。

私は健康なほうだと思う。だから、友達の痛さを理解できなかったのではないかな?


友達で看護婦をしている人がいる。彼女は体が弱くていつも病気をかかえている。
そんなに弱い体で看護婦として患者さんから信頼を得るかなと心配したが、
彼女は自分の体に感謝していると答えてくれた。
自分の弱い体は患者さんの気持ちを分かるように神様からのプレゼントだと…
スゴイ!


相手を理解すること。その立場にならないとなかなか難しいことだろう…
友達のお母さんから私は自分にも厳しいし
周りの人にも厳しいと言われた。
そうかな?
私は自分の基準で相手をみていたのかな?


このような自分と出会ったときに改めて神様の愛と出会えた。
私たちのために人間として生まれ、
私たちの辛さ、幸せ、苦しさ、喜び、悲しみ、嬉しいを理解してくれる方。
口だけで「知っているよ」でもなく、離れた場所で「頑張りなさい」でもない
共に歩んでくださる方。

その方は私たちに問いかけている。(周りの意見ではない、私たちの考えを!)
マタイによる福音書 / 16章 15節
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」


この質問に対して、私たちはどのような答えを持っているのかな?




PS:真由美さんへ
いつもコメントありがとうございます。
書きながら読んでくれるかな?日本語は間違ってないかなと心配しつつ書く私です。(^^;)
向こうに行ってからもう半年が経ちましたね。お元気ですか?
国や民族は違うかも知れないけど
人として生きるのはどの場所でも同じでは無いかと思います。
素敵な笑顔を忘れずに、
与えられたすべでに感謝できる毎日を過ごせますようにお祈りします。
またお会いできるのを楽しみにします♪
posted by mizpah at 17:14| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
人の辛さや痛みは経験したことがあれば自分のことのように理解できますが、そうじゃないと難しいですね。口先だけの言葉になってしまい、優しくない自分に気づかされたこともあります。

ここに来て半年、あっという間でした。まわりの人たちに助けられながら日々生活しています。
言葉や習慣の違いはあっても、それ以上の隔たりを感じたことはありません。皆さん本当に親切です。

来年には一時帰国する予定です。
その時は、教会を訪ねたいと思っています。
私も皆さんに再会できる日を楽しみしています。
そしてこれからもブログにお邪魔します!!
Posted by 真由美 at 2008年04月04日 00:54
PS2
実は友達を痛さを感じられない自分を通して神様の愛と出会う前に感じたことがあります。

それは相手を待ってあげられない自分でした。

去年青年会は冬修養会として韓国に行ってきました。そのために用意することがありまして、韓国語を知っていることでいろいろ担当させてもらいましたが、一人ではなくみんなで用意したい気持ちがありまして、私がやるのではなく、分担して周りをサポートしたかったです。(そのときは韓国に帰る気でしたので…(^^;)

けれども、自分なりには周りを待ってあげたつもりでしたが、そうではなかったことに最近気づかされました。
友達の痛さを感じられない自分を通して&うぶちゃんのアドバイスのおかげで
Thanks うぶちゃん!

相手を待つこと。
相手のスピードに合わせること。
相手を理解すること。
それが出来ない自分がいました。

気づくのが遅かったですが、気づかないより良いとポジティブに思おうとしています。

この場を借りて、すみませんでした。
まだまだ日本にいますので、これからも仲良くさせてください♪(^-^)
Posted by mizpah at 2008年04月04日 11:35
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